1207今日の産経から

2009/12/07 13:21


 本日付産経の石原慎太郎氏による「日本よ」には、思わず手を打った。どの辺りかというと、

 「・・・太宰の小説そのものは好き嫌いの対象たりえても危険なものではないが、それを極めて好むという現代の風潮には大層危ういものがある。かつて三島由紀夫氏は『太宰のかかえている問題なんぞ、毎朝冷水摩擦とラジオ体操をしていればなおってしまう』といっていた。いい得て妙だが、それを極めて好むという今の世の風潮はなかなかラジオ体操くらいではなおるまい」である。
 手を打ったのは、いかにも太宰嫌いの三島らしい言だと思ったからである。

 しかし、石原氏が心配しているのは、わたしなど気がつきもしなかったが、現代の風潮は、あの女々しさと自己否定に溢れた作品を本当に好むようになってしまった、というところにある。そして、氏は、この日本自体が太宰の情死と同じような、一度目は相手だけを殺し、終には相手と自身を殺してしまうというような、心身ともに衰弱した果ての自殺に陥るのではないかと危惧されておられる。

 さらに氏は、「・・・太宰の作品についての好き嫌いはあくまでも個人のことだが、それが国家そのものの時代的性格となれば、看過はできまい」と述べている。
 そして、「さらに太宰の虚弱な性格は、その跳ね返りとして他人からの説得を受け入れられない。具合の悪いことはへらへら笑って聞き流す。三島氏はある時彼の催していた会合にわざわざ出かけていき、『僕が今日ここへ来たのはあなたが嫌いだからですよ』と敢えて言ったら太宰はにやにや笑ってみせ、『それは君が、実は僕のことが好きだからだよ』といったそうな。そうした姿勢での自己平定、自己満足。これは他国からの愚弄を愚弄と受け入れられずに過ごしている今の日本に酷似している」と繋げておられる。

 そして、このような自虐性は日本人特有の受動性に通じると述べ、それは、四方を世界でも最も危険な海に囲まれた日本という国の地勢から発したものだと喝破されている。
 荒々しい海に抑圧された国民性は、内向的で相対感覚を逸したものになる。その結果、今のメディアに代表される被虐性、嗜虐性、自虐性へと通じていくのだと述べておられるのである。