幸福の追求と戦争

2009/12/06 19:48


「人間は考える葦である」という言葉で有名なパスカルは、またこんなことも言っている。
 「人生の究極の目的は幸福の追求にある・・・」
確かに、日本国憲法にもそれらしきことが謳われている。

 

十三条 個人の尊重と公共の福祉

 

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福の追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

Article 13.

All of the people shall be respected as individuals. Their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extent that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other government affaires.

 

わたしは、正直言って人生の目的が幸福の追求にあるなどとは一度も思ったことがない。もしも仮にそれが真実であるならば、わたしは直ちに負け犬になってしまうからである。しかし、圧力の単位にまでその名が使われるほどの大科学者にして大哲学者であるパスカルが言い、日本国憲法にまでこうしてしっかりその権利が保障されているとなると、ああ、やっぱり俺の人生は間違いだったのだ・・・、所詮、俺の人生などに初めから価値があるわけが無かったのだ、とただでさえ歳をくって僻み易くなっているわたしは思うのである。

 

しかし! わたしはここで勇を奮って雄々しく立ち上がる。わたしの人生が無価値であるわけがない。わたしには、伝家の宝刀のような、わたしを守ってくれる力強いお釈迦様の言葉があるのだ。

 

天上天下唯我独尊」である。

 

わたしは、いつも心が挫けそうになったときにはこの言葉を思い起こしてきた。以前にも書いたことがあるが、ネルソン・マンデラ氏の演説の中にも、まさにこの言葉を解説したものがあるので、英文ではあるが是非紹介させていただきたい。

 

                  You’re special

 

You’re special.
In all the world there’s no one like you.
And since the beginning of time, there has never been another person like you.
No one has your smile, your eyes, your nose, your hair, your hands, your voice.
No one can be found who has your handwriting, your taste in food, clothing, music and art.
No one sees thing just as you do.
In all of time there has been no one who laughs like you or cries like you.
And what makes you cry or tears in anyone else.
You’re the only one in all of creation with your set of abilities.
Oh, there will always be someone who is better at one of the things you’re good at;
But no one in the universe can reach the quality of your combination of talents, ideas, abilities and feelings.
Like a room full of musical instruments, some may excel alone;
But none can match the symphony sound when all are played together.
You’re a symphony.
Through all of eternity no one will ever look, talk, walk or think like you.
You’re special and rare;
And in all rarity there is great value.
And because of your great value you need not attempt to imitate others,
But will accept and celebrate your differences.
You’re beginning to realize it’s no accident that you’re special;
That God made you for a purpose, and must have had a job for you that no one else can do as well as you.
Out of the billions of applicants only one is qualified; only one has the right combination of what it takes, and that one is you;
Because you’re special.


御釈迦さまもマンデラ氏も、この世に生まれてきたあなたにはそれだけで価値があると仰っているのである。たとえあなたが五体満足に生まれなかったとしても、貧しくとも、あるいは健康に恵まれなかったとしても、あなたが生まれてきたのにはそれだけの理由があってのことなのだ。そして、そんな自らを尊重し、いたわり、ひたすらその使命遂行に向って進みなさいと仰っておられる。
誰も彼もが銀の匙を銜えて生まれてきたわけではない。すべての人間が幸福の星の下に生まれついたわけではないのである。御釈迦さまは、そんなことは先刻ご承知で、決してすべての人が幸せを追求しなさいと仰っているわけではない。


 
わたしは、決して幸福を追い求めることが悪とは思わない。もし、そうであれば、ここ数日酒ばかり飲んでいるわたしは大悪人になってしまう。
だから、わたしの論点はそういうことではない。たしかに、パスカルも言うように、自殺をする者でさえ、少なくともその時点では最も望ましい幸福追求の手段としてそれを選んでいるのである。麻薬をやるのもギャンブルをするのも、強姦も殺人も、すべて人間の行いは幸福追求のために行われる。死刑になりたくて殺人を犯す場合であっても例外ではない。それがパスカルの主張である。しかし、たいていそのような幸福追求は失敗して大きな不幸に陥ってしまう。人間は愚かで矛盾に満ちた生き物なのである。不幸になるために幸福を追求するという変な癖をもっているとしか思えない。

ところで、パスカルの言に従えば、戦争も幸福追求の手段である。そして、上の論法でいくなら、戦争とは人間が不幸になるために幸福を追求する極めつけといってもよいほど大掛かりな手段であるということになる。
本当にそうだろうか? いや、そんなことは絶対にあるはずがない。と、わたしは思いたい。そうすると、上の論理にはどこか大きな間違いがある。人間が幸福を追求する生き物であるという点に間違いがあるのか、それとも、戦争は人間の幸福追求とはまったく別の動機によるものであるか、あるいはその両方であるかである。

しかし、戦争は、それほど非日常的な出来事ではない。いや、むしろ、それを戦争とは呼ばないだけで、生き物にとってはその一生が間断のない戦いの連続である。異種の生物間の戦いもあれば、同種間の戦いもある。早い話が、わたしたちの体内でも常に戦いは行われている。免疫と病原菌との戦いである。この戦いに敗れればわたしたちは死ぬほかにはない。また、たまたまわたしたちは食物連鎖の頂点に立ち、ありとあらゆるものを口にすることができるが、野生の世界では、食うか食われるかの戦いが絶え間なく行われている。
食って生き延びることは、おそらく生物にとってもっとも基本的な幸福の追求であろう。そして、このための遺伝子ソフトが間違いなくわたしたち人間にも作用している。だから、わたしたち人間はここまで生きてこられたのである。
そうすると、少なくとも、体内に忍び込み増殖しようとする病原菌をやっつけ、生き延びるために他の生き物を殺し食うことは、生き物にとって絶対的な善である生存を守るための手段として合理的なものであるということになる。もちろん、それは戦いに勝った場合についてである。戦いには必ず敗北のリスクが伴う。そして、敗北は自らを敵に献じ、敵の肉体の一部になることを意味する。

では同種間の戦いはどうか。同じ動物同士が戦う理由は何か。食うためでないなら、その主たる理由は生殖である。以前にも書いたが、その戦いは目に見えない部分でも行われている。チンパンジーなどは基本的に乱交である。狼などのように特定の雌雄だけに生殖の権利が与えられているわけではない。したがって、生物にとっての絶対的善が自らの命を先に繋いでいくことであるとしたら、乱交の生き物は、如何に自分自身の遺伝子を狡猾に伝えていくかという幸福を追求することになる。実は、そのような機構が放出された精液の中にも備わっている。前にも述べたが、何億、何十億と放出される精子の中で、卵子にたどり着いて受精できるのは、たった1つだけである。それなのに、なぜ斯くも多くの精子を放出する必要があるのか。その答は、受精という幸運に恵まれる精子、これを王子とするなら、これ以外の大部分の精子は、王子を守護し他の精子と戦う騎士として、兵隊として存在するからである。

 

いずれにしろ、このように戦いというものは非常に奥の深い謎である。
戦争が善か悪かなどと二者択一を迫ることは、37億年もの時を遡り、揺籃にかかる神の御手を、その動き方が正しいかどうかを見極めようとするにも等しい愚かな試みでしかないとわたしには思われる。