ジュブナイル

2009/12/05 18:38

 

 昨夜もしこたまきこしめした。3件はしごした。最後の店ではOさん(♂)とツーショットでワンショットバーに入った。
 Oさんというのは、前にリストを見せてもらったことがあるが年に300冊もの本を読む方である。

 そのOさんにジュブナイルを書いてみろと言われた。要するに、それはこういうことだろう。つまり、わたしの書き物はだいたい理屈っぽくて読むのに骨が折れる。だから、子供にも分るようなものを書けと。
 それはたしかにその通りで、大人におもしろいものは子供にもおもしろい。大人にうまいものは子供にもうまいのと同じことである。材料が良ければ、調理方法が少しくらい違ってもうまいものはうまい。
 逆に子供向けの作品であっても大人に楽しめないということはない。SFなどは特にそうであろうと思う。重要なのはそのエッセンス、つまりはSOW的アイデアと読後感なのである。

 子供の頃、読んで影響を受けた本にライトの「謎の惑星X」やベリャーエフの「狂った世界」「白の未開人」などがあった。胸をときめかせ、子供ながらにそのエッセンスを十分に味わって読んだ記憶がある。
 それらのジュブナイルSFはわたしの未成熟な心を高揚させ、夢を未来へと飛翔させる力を十二分に持っていた。白の未開人などは、その読後感を今思い出してみろと言われれば、懐かしさとともに未開の白人に対する同情と哀切の思いが生き生きと蘇ってくる。
 おそらくこの未開人は、いわゆるミッシングリングといわれる現代人と原人をつなぐ未知の種という設定であったのだろうが、そんな知識などなくとも作者の意図と訴えはよく分った。
 謎の惑星Xは、第10番目の惑星を巡る物語だったと思う。たしか作者のケネス・ライト(Kenneth Wright)はもと船乗りだったと記憶している。おそらくその航海中、漆黒のベルベットにダイヤモンドを鏤めたような星空を見上げては、この作品の構想を練っていたに違いない。
 もはや、主人公の名前がサイモンだったかダニエルだったか、謎の惑星へと向かうロケットの名がダイダロスだったかイカロスだったかも定かではないが、この小説がわたしに非常に懐かしく思われるのは、とうの昔に亡くしてしまった父の記憶のように、顔はすっかり忘れてしまっていても、その腕に抱かれたときの甘美な幸福感や愛着の情が消えてしまわないのとまったく同じ理由によるものであろう。二つともわたしの心の奥に何か大切なものを置いていってくれたのだ。

 さて、本当にわたしにジュブナイルなど書けるだろうか。サンテグジュペリが言うように、わたしはすでに子供の頃のこころを忘れてしまっていはしないだろうか。